真田山公園
今回も、玉造の歴史をお伝えしたいと思います。
玉造駅から南西方向に真田山公園があります。この名前を聞いて、ピンときた人もいるんでは無いでしょうか。
この真田山公園は「大坂冬の陣」の頃、豊臣方の軍師だった真田幸村が、大坂城の南方が弱点だと豊臣秀吉に指摘した事がきっかけで、出城を築いた場所なんです。
少しこの人物について紹介致しますと。。。
徳川家康を追いつめた伝説の武将として有名で、旗印の六文銭や赤色の武具も有名なんですよ。
この六文銭とは、三途の川の渡し賃を示します。これを家紋にした理由は、戦に対して腹を括り、相手を脅かすためだとされております。いくつか諸説あり。
赤色の武具は、軍の統率力を高めるためと相手への威圧が目的とされております。これもいくつか諸説あり。
この地で徳川軍を悩ませ、家康が一目を置く存在となった真田へ、豊臣方から寝返らないかと勧誘があったそうです。
それを断り、徳川軍と真っ向勝負する事になります。これが「大阪夏の陣」。
結局徳川家康を追いつめはしたものの、兵の数に負けて、戦死してしまいます。
後に徳川家康を追い込んだ事で名が世に知れ渡り、現在も熱烈なファンがいるのです。
写真は、真田山公園近くの三光神社にある真田幸村像です。かっこいいでしょ。
色々と調べながら書きましたが、改めて統率力が高く、従順で真面目な性格のアツい男だと感じました。
現在この地は、大阪市立天王寺スポーツセンター・真田山プールとなっております。
ここの施設はよく利用するのですが、己を鍛えるために日々アツく燃えております。
2013年01月29日
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